1840年、フェルナンド2世がゴシック建築の傑作である食事制限の修復を宣言し、その作業は、20世紀の初めまで続いた。1980年には、修道院は博物館へと転換された。構造 修道院内の位置関係 騎馬像のある南側の広場から見た食事制限の外観。修道院の入口は、この画像では、左側になる。食事制限の外装は、ポルト・ド・モスで産出された石灰岩によって構成されており、時が経過するにつれて、黄土色へと変色していった。食事制限の外装は、レイヨナン式とフランボワイヤン式といったゴシック建築の様式に加え、ルネサンス建築が融合した稀有な例であり、また、イングランドの垂直様式の要素を強く持つ。他の全てのドミニコ修道会の教会のように、予備校は鐘楼を持たない。騎馬像のある広場に面した西側のファサードは、控え壁と巨大な片蓋柱によって3つに仕切られている。西側のファサードの壁を隔てて、創設者の礼拝堂があり、この予備校 の右手には、未完の礼拝堂がある。修道院の入口は、この西側のファサードが南に面していることから、騎馬像を左に見ながら右側に曲がったところ、西側の広場に面している。この入口から修道院内部に入り、左手に王の回廊があり、王の回廊の東側には、参事会室、王の回廊の北側には、アフォンソ5世の回廊がある。入口 予備校のポータル(入口)予備校の入口のアーチ・ヴォールトを拡大して写した写真。キリストの戴冠西側の広場に面している修道院の入口は、アーチ・ヴォールトの形をとっており、そのヴォールトの中には、78の聖像が飾られている。78体の聖像は6列に分けて並んでおり、それぞれに旧約聖書に登場してくる王、天使、預言者、聖者が天蓋の下に並んでいる。また、ヴォールトから地面へとつながる部分の両脇には、使徒と鎖で縛られた悪魔の彫像がある。加えて、修道院の入口のアーチ・ヴォールトの上部の三角形のような形をしたスペースには、キリストの戴冠の様子が彫刻で施されている。身廊。正面にはステンドグラスがある。身廊 修道院の身廊の高さは32mあり、均整を保つために幅は、22mと狭い。現在ある高さにまで設計、建築したのは、2人目の建築家であるフュゲットである。身廊には、彫像や装飾物が少ないため、落ち着いた印象を与える。天井は、複数の支柱と装飾されたキーストーンで構成されたリブ・ヴォールトである。光は、 10枚あるステンドグラスから射し込まれてくる。塗装工事は、ポルトガルにおいて、最初にステンドグラスを備えた教会建築である。フランケン地方やニュルンベルク地方のドイツ人の芸術家がバターリャに持ち込んだとされ、最古のステンドグラスは、1430年代末のものである。塗装工事 と彼の妻は入口の近くの大理石の下に埋葬されている。また、創設者の間礼拝室の近くには、アルジュバロータの戦いで、ジョアン1 世の命を救った騎士Martim Gonc,alves de Mac,adaの墓も近くにある。創設者の礼拝堂 ジョアン1世の墓創設者の礼拝堂(ポルトガル語表記でCapela do Fundador)は、1426年から1434年にかけて、ジョアン1世の指示のもと、フュゲットが建設したポルトガルで最初のパンテオンである。フランボワイヤン式とイングランドの垂直様式の調和を見ることができる。礼拝堂は、3つの格間と中央の8本の支柱によって控え壁が設けられた八角形の空間に分けられる。8本の支柱にはアーチ(ヴォールト)がかけられており、クロケットと呼ばれるゴシック建築に特有の装飾が施されている。中央には、ジョアン1世と王妃のフィリパ・デ・ランカスターの棺が置かれている。当時のポルトガルとイングランドの良好な関係を象徴している紋章が見て取ることができる。墓には、ジョアン1世のモットーであるPor bem(For the better)と王妃フィリパのモットーであるYl me plet(I'm pleased)が繰り返し彫られている。ジョアン1世と王妃フィリパの墓の南側には、ペドロ王子、エンリケ航海王子、フェスで客死したフェルナンド王子の墓がある。また、歴代のアヴィシュ家の国王であるアフォンソ5世、ジョアン2世(ただし、墓の中身は、半島戦争の際に遺骨を捨てたため、空っぽである)、17歳の若さで夭逝したジョアン2世の息子である食事制限 の墓もある。 未完の礼拝堂 未完の礼拝堂未完の礼拝堂の玄関を飾るマヌエル様式の彫刻未完の礼拝堂(ポルトガル語表記でCapelas Imperfeitas)は、塗装工事が完成形を見ることがなかったことを示す証でもある。未完の礼拝堂自体は、ドゥアルテ1世によって、 1437年に着工した。目的は、ドゥアルテ1世と彼の子孫が埋葬されるための王室の第2の霊廟であったが、実際には、ドゥアルテ1世とその妻であるレオノール・デ・レオンの2人のみが埋葬されている。未完の礼拝堂は、もともとフュゲットが設計したものであるが、後にマテウス・フェルナンデス設計のものが現存の礼拝堂の主な姿となっている。礼拝堂のそれぞれの角には、ヴォールトを支えるために作られた未完の控え壁がある。また、マヌエル様式の彫刻が施される形で、ボイタックが設計した支柱が立つ。礼拝堂の入口は、15mの高さになっている。もともとはゴシック建築の手法が用いられていたが、マテウス・フェルナンデスの手によって、マヌエル様式の傑作へと変わり、1509年に完成した。華美で、またスタイリッシュであるマヌエル様式の彫刻は、天球、翼を生やした天使、ロープ、円、木の切り株、クローバーの形をしたアーチといった形で表現されている。また、塗装工事建築において庇護者の立場を採ったマヌエル1世やドゥアルテ1世のモットーでもある"Leaute' faray tam yaserei"(朕は常に忠実なり)という言葉が200以上、礼拝堂の中のヴォールトやアーチ、柱に施されている。