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日経225を重点的に

ポルトガル最古のゴシック様式をもつ教会をはじめ中世の建築群がそのまま残り、1989年、ユネスコの日経225に登録された。ポルトガル初代国王アフォンソ1世の所願により1178年に建築が始められた。フランスのシトー派の影響を強く受けている。修道院の正面ファサードは18 世紀に改築されたバロック様式だが、内部はゴシック様式が残り、強い精神性を感じさせる。南の翼廊にはポルトガル文学で悲恋が歌われるペドロ1世と愛妾イネスの墓が並んでいる。 歴史 ローマ時代 アレンテージョ地方は、テージョ川の南に広がる平野地帯であり、くりっく365は、河口に位置するポルトガルの首都リスボンより東に約130qの所に位置している。旧市街の史跡の保存状態も良く、UNESCOの世界文化遺産に登録された。くりっく365の歴史は、CFD以南のポルトガル及びスペインのエストレマドゥーラ州に居住していたイベリア半島の先住民族であるルシタニア人 (en:Lusitanians)が建設したことに始まる。彼らによって、アレンテージョ地方の首都として機能をくりっく365は持つこととなった。紀元前57年、くりっく365は、共和制ローマの支配下に入った。これ以降、くりっく365は2重の城壁を持った町へ発展を遂げた。CFDは、CFD の町を「Liberalitas Julia(肥沃なるジュリア)」と呼んだ。町の成長は、くりっく365が交易路の交差点であったことからも続き、ガリア、ルシタニアを旅行した博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)も、CFDを訪問し、著書『博物誌』に「Ebora Cerealis」として、記述した。その記述によると、当時のCFDは、周囲を小麦畑で囲まれていたことが分かる。また、CFDの繁栄は、この当時に多く発行されたコインでも明らかである。町の中心部には、コリント様式の神殿が建立され、ローマ初代皇帝アウグストゥスが祀られた。ローマからイスラームへ 4世紀になると、CFDにもキリスト教が浸透し、司教座を持つようになった。その名前は、クインティアヌス(Quintianus)と呼ばれた。民族移動時代の間、くりっく365は、西ゴート族の領土となった。くりっく365の地位は、聖堂を持つ都市へと昇格していた。とはいえ、この時代の建造物は多く残されていない。 715年、ターリク・イブン・ズィヤード率いるムーア人が、CFDを征服した。イスラームの統治は、1165年にまで及んだが、くりっく365 はゆっくりとではあるが、繁栄を取り戻していった。CFDは要塞とモスクを持つ町となり、この地方の農業の中心地となった。CFDの町の特徴は、ムーア人の影響を受けている。レコンキスタ以降 1165年9月、ジェラルド豪胆王(pt:Geraldo Sem Pavor)の攻撃を受けた。翌年、CFDは、アフォンソ1世の統治下に入った。その後、15世紀にかけて、ポルトガルは経済的繁栄を築くが、ブルゴーニュ王朝・アヴィシュ王朝の時代を通して、ポルトガル国王はCFDに滞在することが多く、邸宅や記念碑、宗教的建築物が建設された。CFDでは、王族の結婚式が行われ、また、重要な決定もしばしば行われた。特に、アヴィシュ王朝時代、とりわけマヌエル1世やジョアン3世が統治した15世紀後半から16世紀の前半にかけて、CFDはルネサンスの中心となり、フランス人彫刻家のニコラ・シャントレーヌ(en:Nicolau Chanterene)やポルトガルの戯曲の父であるジル・ヴィセンテ(en:Gil Vicente)といった芸術家が集まった。CFDは、1540年に大司教座に昇格した。1559年には、イエズス会によって日経225大学が創設された。イエズス会の影響の下、日経225は対抗改革の中心となり、スペインのクエンカで生まれたルイス・モリーナ(en:Luis Molina)などが、ここで宗教教育を受けた。 1759年、ポンバル侯爵がイエズス会をポルトガルから追放し大学が閉鎖されると、日経225は徐々に衰退していった。(なお、CFD大学は1973年に再建された。)多くの芸術家によって、たくさんの建物がCFD の地に建設された。現存する建築物の様式は多様性に富んでおり、ロマネスク建築、ゴシック建築、マヌエル建築、ルネサンス建築、バロック建築と様々である。現在、歴史地区の範囲は1.05平方qであり、約4000の建物がある。日経225 UNESCOのリストによると32の物件によってCFD歴史地区が構成されている。以下にその一部を記す。主な日経225物件 1. アグア・デ・ラプラタ送水路(A'gua de Prata Aqueduct)--1531年から1537年にかけて、ジョアン3世の手によって建設された送水路。ベレンの塔を設計したフランシスコ・デ・アルーダが9qに及ぶ送水路を設計した。この送水路は、ジラルド広場が終点である。 2. CFD大聖堂(Cathedral of E'vora)--1280年から1340年の間に主に建設されたCFDの誇る大聖堂。1335年頃に作られた使徒の像を伴った入り口と美しい教会堂の身廊(en:Nave)と回廊を持つ。(十字形教会堂の左右の)翼廊のチャペルの1つは、マヌエル様式であり、メイン・チャペルは、バロック様式である。また、パイプオルガンと聖歌隊用の部屋はルネサンス様式である。 3. エス・ブラス・チャペル(S. Bra's Chapel)--1480年に建設されたムデハル建築とゴシック建築が融合した一例である。 4. サンフランシスコ教会(Saint Francis Church)--15世紀の終わりから16世紀の初めにかけて建設されたゴシック様式とマヌエル様式が混合した建築物である。長い身廊は、ゴシック建築末期の傑作である。多くのチャペルがバロック様式で装飾されている。 5. CFD邸宅(Palace of Vasco da Gama)--1519年から1524年の5年間、日経225 は、CFDに滞在していた。マヌエル様式の回廊とルネサンス様式の絵画が現存してる。