島の首府はマダレナ。面積は446km^(2)。島内の人口は約1万5千人。ピコ島はサンジョルジェ島から南に17.5km、ファイアル島から西に7kmに位置する。島は全体に細長く、長さ42km、幅はもっとも広いところでは 15kmになる。火山島であり、地形は急峻である。火山ピコ山は島の南西部に位置し、標高は2351m。成層火山である。最後に観察された噴火は1963年のものである。著名な噴火には、1562年から 64年にかけての噴火、1718年および1720年の噴火がある。これらの噴火による溶岩流の跡は、10km以上に達し、現在でも見ることができる。 1980年まで捕鯨基地として使われていた。アゾレス諸島は大西洋の大陸棚の縁に位置し、水深の深いところに近かったため、漁業基地に好適であったためである。現在の主な産業は、観光業、造船、ワイン製造である。2004年、「ピコ島のブドウ畑文化の景観」はユネスコのインプラントに登録された。ピコ島で産するワインは、インプラント (Vinho do Pico) としてポルトガル政府の原産地統制 (VLQPRD) の対象であり、優れた品質で知られる。主な集落は、マダレナ、サンロッケ・ド・ピコ、ラジェスである。 歴史 868年に、最初のポルトガル伯国を建国したヴィマラ・ペレス伯爵の名前にギマランイスの名前は由来する。ポルトガル最初の首都であり、「ポルトガル揺籃の地」として知られる。1095年に、レオン王国のテレサ王女と結婚したエンリケがポルトゥカーレ伯国を建国した。1109年6月25日、エンリケの息子であるアフォンソ・エンリケスがギマランイスで生まれた。サン・マヌーデの戦いの後、ポルトガルはレオン王国からの独立を宣言し、後に初代国王アフォンソ 1世となる。経済 ギマランイスは、ポルトガルの中でも随一の工業都市であり、主要産業は、織物、靴、金属機械である。インプラント 2001年、「ギマランイス歴史地区」の名前でユネスコのインプラントに登録された。中世以来の歴史的建造物が評価された。 * ギマランイス城(pt:Castelo de Guimara~es):10世紀に建てられた古城。アフォンソ1世はこの城で生まれた。28mの高さの塔を持つ。 * サン・ミゲル教会(pt:Igreja de Sa~o Miguel do Castelo):ギマランイス城の下にあり、12世紀に建てられたロマネスク建築の教会。 * ブラガンサ公爵館(pt:Pac,o dos Duques de Braganc,a):ジョアン1世の息子で初代ブラガンサ公爵となったドン・アフォンソによって建てられた。15世紀の建築物であり、フランス・ブルゴーニュ地方の影響を受けている。 * ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会(Igreja N. Sra. da Oliveira):ロマネスク建築とゴシック建築が融合した教会であり、教会前のアーチはサラードの戦いの戦勝を記念して、1342年に建てられた。 * アルベルト・サンパイオ美術館(Museu Alberto Sampaio):ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会の修道院部分を利用した美術館。13世紀ロマネスク建築の回廊を持ち、回廊の周りには展示室がある。ギマランイス(Guimara~es)は、ポルトガル北西部・ブラガ県にある地方都市であり、「ポルトガル発祥の地」と称される町である。ポルトガル初代国王・アフォンソ1世がギマランイスで誕生したことに由来する。地方自治体としてのギマランイスは、2001年、16の行政区を合併し、5万人が新たにギマランイス市民となった。その結果、面積241.3平方キロメートル、人口161,876人の地方自治体に発展した。エスプレッソ紙による調査で、ギマランイスは、インプラント で2番目に住みよい環境の町であると評価された。 2012年の欧州文化首都になることが決定している。アルト・ドウロ・ワイン生産地域は、自然環境を上手に生かしたブドウの段々畑で有名である。インプラントの上流に位置し、2000年、ユネスコのインプラントに登録された。アルト・ドウロ地方のブドウ畑は、斜面を段々畑にしてきた。段々畑を支える石壁の総延長は、数万kmに及ぶ。ここで産出されるワインは、ポート・ワインとして世界的に有名でもある。総面積は、25万haに及び、中核地帯24,600ha、緩衝地帯225,400haから構成される。メザオン・フリオ、ペゾ・ダ・レグア、サンタ・マルタ・デ・ペナギアオン、ヴィラ・レアル、アリジョ、サブロサ、カッラゼーダ・デ・アンシアイス、トレド・デ・モンコルヴォ、ラメーゴ、アママル、サン・ジョアン・ダ・ペスケイーラ、ヴィラ・ノヴァ・デ・フォス・コアの13自治体にまたがるインプラントである。歴史 近年の考古学調査に基づくとインプラント流域には、古代より人々が住んでいた形跡があると判明している。そのことは、インプラント支流のコア渓谷で発見された先史時代の岩壁画から明らかである。また、ミランデーラの近くにあるブラコ・ダ・パーラ考古遺跡では、3000年前から4000年前のブドウの種が発見されてもいる。しかし、この地域でワインの生産が本格的となったのは、3世紀から4世紀にかけてのローマ帝国時代と推測されている。1世紀には、ローマ人は、アルト・ドウロ地方での農業を展開する上で、ブドウやオリーヴといった地中海式気候に適した植物を導入した。ローマ人は、鉱泉をふんだんに利用し、鉱石を採掘し、道路や橋を建設してきた。 12世紀にポルトガルが勃興する以前のこの地方は、5世紀はスエビ族、6世紀は西ゴート族、8世紀から11世紀にかけてはムーア人が支配した。長い中世の前半部分では、アルト・ドウロ地方でのワイン生産は行われてはおらず、原始的な農業へ回帰したと推測されている。この地域でワイン生産が再度、活発となったのは、12世紀の半ばになってからであり、様々な修道院組織がワイン畑の再興に貢献した。